2012年6月13日水曜日

青葉のころ

生徒の皆さんおはようございます。第1試験が終了し、ほっと一息ついたころでしょうか。さて、今、安田学園の中庭は、花の季節が終わり、桜の葉や皐月等の葉が茂り、青葉の頃となりました。日本は季節の変わり目が明確で自然界の風景も季節の変化とともに明確に変わります。この変化は風景だけではなく、食品においても同じことで、特に季節の初めに店先に並ぶ初物は皆、珍重し、江戸時代の川柳の中には、「目に青葉山ほとぎす初鰹」と言って嫁さんを質屋に入れてもこの初鰹を食するといったような極端な話もあるほどです。青葉の頃の旬の食べ物といえば、まず初めにタケノコと蕗。それも孟宗竹のやわらかいあまりえぐみのない筍から始まり、竹の種類によって一月くらい店先に並び最後は葉竹、その間に豆類が出てきます、豆の種類が5種類くらいあって、ご飯と一緒に炊いて食べると風味がよくておいしいもの、酒のおつまみにして塩をかけて食べるとおいしいもの、潰してあんこにして食すると美味しいもの。後、春キャベツや、春玉ねぎ、じゃがいもなどの春野菜、またサクランボや、イチゴなど自然のままで栽培される露地物もこのシーズンの果物です。

また、魚屋さんに行くと春告魚と書くメバルが並び、カレイが12月にこどもを下ろし、栄養を取るために荒食いをして身がしっかり乗る花見カレイ、キス、花見鯛など、そして3月から4月はアサリやハマグリなどの貝類も身がしっかり乗ってとてもおいしくなります。これらの季節の野菜や魚が旬の食べ物として店先に並び、それらを買う時に「少しまけてよ」と店の主人に話し込むしっかり者のお母さん。そしてそれを見ている小さな子供。母はそれらを家に持ち帰り、自分の家に伝わったかたちで料理をして、家族の団らんになりました。しかし今、店先には夏が旬のスイカ、オーストラリアからのキウイ、ハウス物のみかん、野菜はいつも何故だか店先を彩るトマト、ピーマン、キュウリ、ゴウヤ、果物ではリンゴ、バナナ、もちろん先ほどからあげている野菜、果物などなど季節に関係なく店先に並んでいます。魚屋さんでは、冷凍のマグロ、深海魚の切り身、鮭の切り身、はげ、アジ、サンマ、いかなど今の季節ではない魚の類が並んでいます。

「今、一番おいしい魚はどれ、今一番おいしい野菜は、果物はどれ」と尋ねたくてもパックに入って並べられて、それを取ってレジに行ってお金を支払う。季節のものを買うことも選ぶことも難しい時代になりました。確かに便利にはなったけれど、確かにものは豊富になったけれど、何もかも既製品。だったら、セブンイレブンで、夢タウンで買って帰り、それをお皿に入れ替えて、みそ汁はインスタントで、ご飯も解凍して、それで間に合わせるというのも解らなくはない。冷凍食品を食してみるとこれが冷凍かと思うほどおいしいものがある。でも、季節のものを母の愛情あふれる料理によって家族だんらんの中で食するという風景が私たち人間にとって最も大切なことではなかろうかと思うのは私だけなのでしょうか。
さて、本日の話はこれで終わりです。本日も静かに私の話に耳を傾けていただき感謝します。どうも有り難う。
           (合同朝礼 5月30日)

人間は慣れるという能力を持っている

生徒の皆さんおはようございます。新入生の皆さんをお迎えしてはや二週間が過ぎましたね。生徒の皆さんはもう通学や、クラスに、あるいは校風に慣れてきましたか。多くの生徒の皆さんが四月から五月の初めにかけて、新しい環境に慣れるために随分と神経を使い、つらい思いをしているのではなかろうかと拝察します。また、規模の小さい小学校や、遠方の小学校から来た生徒の皆さんにとっては、あまりの環境の変化に少々ショックもあるかもしれませんね。更にまた、二・三年生の皆さんもクラス替えや担任の先生が変わり、それぞれに適応するために苦労をしている人がいるかもしれません。本日はそのような、いま少し不安になっている生徒の皆さんが勇気を出せるようなお話をしてみたいと思います。

まず初めに、皆さんは全員、本校の入学試験を受験しそれに合格をしてここにいるということを忘れないでください。皆さんのとった成績はトップで入学した人と最下位で入学した人とでは確かに少し差がありますが、その差はそんなに大きなものではありません。これまでの生徒の皆さんの成績の変化を見ておりますと、本校の入試でギリギリで入ってきた生徒が、入学後にしっかり学習している生徒がいて、その人は2年になるときにはトップクラスになっていましたし、高校卒業の時、難関の国立大学に合格していました。一方、トップクラスで入学した生徒でもぼんやりとほのぼのした生活をして、気か付くとほとんど後ろはいない位の成績に下がった人もいるのです。継続こそ力なりだということです。はっきり言えば、小学校6年間での学習量ですから,どの生徒も似たり寄ったりなのです。しかし、同じ教室の中で一緒にいると、何となく皆がとても優秀に見える。そう考えると気付かぬうちに委縮して一歩下がって友人関係を築こうとしてしまいます。まず、皆、私とそんなに変わらないんだ、同じ悩みを持ち、似たような不安を抱えて、教室の中にいるんだと思ってください。次に、クラスに入ると仲間集団ができていて、どこに所属しようかという不安がこれから出てきます。皆さんにとってどの集団に属するかは、誠に重要なようでありますが、ここで一つ提案があります。私はいつも思うのですが、どの集団に所属するか、その集団に所属するために自分をどう合わせていくか、このように考えると、所詮いつかはうまくいかなくなる。大切なことは、自分を集団に合わせるのではなく、周りの人が自分に合うようにしてもらうということが肝心だと思うのです。

人間は一生懸命何かについて正しい努力をしていると、どこかで誰かが見ていて、声をかけてくるものです。何をしているの。ああいいことをしているね。私も一緒にやっていい。そして先生からはいいことをしているね。協力できるかとがあったら言ってね。等、貴方の周りにあなたの善行や、努力を評価して集まってくる人がいます。これを信じて生活するのも、大切な生き方だと思います。頑張ってください。さて、本日の話はこれで終わりです。本日も静かに私の話に耳を傾けていただき感謝します。どうも有り難う。
            (合同朝礼 4月25日)

役割を演じることについて

生徒の皆さんおはようございます。先ほど、本年度のクラス役員の任命を行いましたが、そのことに関連して本日は役割を演じるということについてお話をしてみたいと思います。

私たち人間には、天によって公平に与えられたものがあるように思うのです。それは多様な能力です。皆さんの中には、自分はどうしてこんなに能力がないのだろうか、なぜ姉に比べて自分には能力がないのだろうかなど、自分の能力が他の人に比べて低いと思って嘆いている人はいませんか。周りを見てみますと、早熟で何をしても適度にこなし、皆からうらやましがられる人によく出会います。そのような人を見ていると、自分もあのようにできたらどんなにいいだろうと思ってしまいます。同時に、自分のふがいなさをつい嘆いてしまいがちですが、私は人間の能力というのはそんなに大きな差はないのではないかと思っているのです。一部の天才と呼ばれる人たちを除いては大なり小なり、人間の能力は同じではないか。人間の脳細胞の数は大なり小なりそんなに変わったものではない。ただその脳の細胞を適切な時に活用したり鍛えたりしているかどうかによるのではないかと思うのです。そのように考えますと、皆さんはすべてすぐれた青春であり、才能あふれた素晴らしい少女であるといえるのです。

さて、先ほど、2・3年生の皆さんにクラスの評議員をはじめ役員を任命いたしました。多くの皆さんがクラスの仲間から認められ選ばれた諸君であり、仲間の期待に応えてしっかりその職責を果たしてほしいと思います。

ところで、皆さんの中には、私は役員には適していないのではないか、ほかの人のほうがよくクラスをまとめてくれるのではないかといった気持ちを持っている人はいないでしょうか。さらにまた、クラスの役員にはなったけれど、何をなすべきか、どうあるべきかを考えることなく、何か他の者から指示されてそれをこなすだけで1年間を過ごしている人はいないでしょうか。役職に就いた以上、その役職には果たさなければならない役割というものがあります。その役割を果たそうとするとき、自分にはそのような能力はないのではないかと予め思ってしまう人がいるようですが、決してそうではありません。先にも述べましたように天は公平に才能を私たちに授けています。ただその才能に気付いてそれを伸ばすように努力するかどうかは、この役割を演じる中で確認できることが多いのです。即ち、役職に就くというのは自分の持っている能力を大きく伸ばしていくチャンスが与えられたということなのです。そして、このチャンスというものも、人間に公平に天が与えてくれているものだと思うのです。この世の中は誠に不平等にできているのですが、もし平等に与えられているものは何かと問われたら、私は人間の能力と、それを活用するチャンスに恵まれることだと答えます。皆さん、このチャンスを大切にして、この1年間、役割をしっかり演じて頑張ってください。さて、本日の話はこれで終わりです。本日も静かに私の話に耳を傾けていただき感謝します。どうも有り難う。
        (合同朝礼 4月18日)

2012年4月17日火曜日

平成24年度前期始業式(歳月は裏切らない)

生徒の皆さんおはようございます。春休みが終わり、平成24年度が始まりました。今年は、お彼岸が過ぎても冬がそのまま続いていると申しますか、本当に厳しい冬が続きました。しかし、歳月は裏切らないと申しますか、いつもの通り校内の桜の花が咲き始めました。先ほど新しい先生方を紹介いたしましたが、4月は新しい出会いの時でもあり、月曜日には新しい仲間が中学、高等学校に入学してまいります。

新しいといえば、この3月28日、本校はスーパーサイエンス・ハイスクールの指定を文部省からいただきました。この3年間の中学・高等学校の取り組みが認められたことになります。この頭文字をとってSSH指定校というのですが、全国で最終的に200校が認定を受けるハイレベルの科学的な教育活動を進めている学校に認可されるシステムです。3年前、中学校に自然科学探究コースを導入した時に、高校で何をなすべきかを問われることになると考え、このSSH導入を考えましたが、全国の指定校を見てみますとそれぞれ県のトップレベルの学校が指定を受けているようで、そう簡単に認定されることはないと思い、今年はまずは挑戦するということでエントリーをしたのですが、先生方や生徒の皆さんの取り組みがなかなか興味深いということで指定を受けることになりました。この指定を受けることは単に理系コースのみがよくなるのではなく、学校全体が活気付くという傾向があり、指定された学校はいずれも大変優れた成果を上げており、本校も必ずや良い成果がみられるようになると確信しています。

また、大学は児童教育学部や薬学部をはじめ私立の女子大として大変高い評価を受けていますが、その傾向はますます高くなり、入学試験の難度も全学科で高くなり、社会の評価も上がっています。何だかわくわくするような学園になり、皆さんと一緒に頑張りたいものです。また、昨年の福島県の原発事故で故郷を失っている人々を勇気づけたいと生徒会の諸君を中心に被爆桜を送る取り組みを進めていますが、そのことを聞いた多くの人々が共感して共に協力したいという申し出があり、先日も真言宗のお寺さんを中心に福島の被爆地のそばに植樹をされ、また、日本赤十字を通して被爆地に桜の苗が贈られたようです。特に今年送られた苗は、あの東日本大震災の起きた日に植樹をした苗であり、生徒の皆さんの何かしら目に見えない復興の願いのようなものを感じ、深い感動を覚えます。今後とも生徒の皆さんが一体になって平和への祈りを込めて取り組んでいかれることを願っています。

ところで、いよいよ懸命になって学習に取り組むべき時が来ましたね、6年生の皆さん。皆さんは好むと好まざるとに関わらず、受験生になったのです。君たちが単に色々問題を起こす生徒であったのか、それともエネルギーが余りすぎて、枠を越える生徒であったのか、この事ははっきりと試される年がついに来たのです。肝心の学習活動に、安田生としての誇りをかけて取り組みなさい。これができなければ、学年主任が信じてきた「この子達は必ずいつか変身する。大化けすると信じています。」といったのは大間違いだったということになる。君たちを深く愛してくれている先生方を裏切ってはいけません。

5年生の皆さん、本学園は皆さんの手の中にあります。皆さんはよく努力し、これまでに見られなかった実績を学習の面で残しました。それは高校で偏差値を伸ばしたという成果です。これは公立であろうが私立であろうがなかなかないことです。皆さんが本当の意味で安田学園の歴史を作りかえるのです。頑張りなさい。

3年生の皆さん、新しい教育システム第2回生。新しい取り組みの中で、本当に必要なものは何かがわかる学年です。コース制の導入の良し悪しは君たちにかかっています。しかも今年は中学のリーダーだ。何よりも学校生活を楽しく有意義に、そして激しく新しい挑戦に立ち向かいなさい。

2年生の皆さん、君たちの後輩が熱いまなざしで君たちを見つめるでしょう。その熱いまなざしをうけるにふさわしい行動をしなさい。良き先輩になるということは、後輩によい影響を与えるだけではありません。貴女たち自身の大いなる成長につながるのです。頑張りなさい。
先生方におかれましては、SSH導入という大変な教育活動を進めるということで、適度な緊張感の中にいると思います。その緊張感を生徒とともに味わっていただきますよう宜しくお願いいたします。さて、本日の話はこれで終わりです。本日も静かに私の話に耳を傾けていただき感謝します。どうも有り難う。
        (平成24年 4月7日)


2011年12月17日土曜日

歳月について考える

生徒の皆さん、おはようございます。早いもので、明日からもう師走。歳月は人を待たずという言葉がありますように、時は人間の意識に関係なく確実に流れてゆくようです。この歳月とは、時間とは、どのように概念づけられているのでしょうか。一日は地球の自転、すなわち日の出から日の入り12時間、日の入りから日の出までの12時間、計24時間を24分割した長さを1時間とし、一時間を60分、1分を60分割して1秒という単位を設定しています。そして、太陽が天球を一巡する周期365・24日を1年とし、私たちはこの1年の中で様々な節目の日を設け、更にユダヤ教の安息日を日曜日にして生活をしているわけです。時間だけでなく、距離の問題についてみますと、その基準を地球の子午線におき、1メートルを子午線の4千万分の1として設定されています。

ところで、この時期になりますといつも、「早いものでもう師走」、あるいは「年の瀬が迫りましたね」というのが挨拶になりますが、皆さんの中には、歳月の流れが大変緩やかに、もしくは遅く感じる人がいるかもしれません。確かに、先生方でも、30代の先生にとって1年は緩やかで、乗り物に例えると、乗り合いのバスの速さくらいかもしれませんが、40代になるとそのスピードが増し、機関車に、50代は新幹線、60代は飛行機で、70代はまだ体験していないのでわかりませんがきっと、ジェット機並みになる速さで時が過ぎてゆくのだと想像するのです。すなわち、時間は年齢によって、人によって、環境によって、様々な側面で感じ方に違いがあるようです。

初めに述べましたように、時間という概念は普遍的なものであり、いついかなる時でも、人間の意識に関係なく流れてゆくものなのですが、なぜその時間を人間は早く感じたり、緩やかに感じたりするのでしょうか。それは私たち人間の感覚の作用に原因があるわけですが、このような日常の身近な問題について生徒のみなさんが興味を抱き、疑問を抱いて調査していただきたいと思っているのです。小学校であろうが、中学校であろうが学問の入り口というのは私たちの身近にある自然界の動きに対して疑問を持つことが大切であり、その疑問に対して問い続けることによってすべての発明や発見はなされているのです。皆さんがよく知っているニュートンの万有引力の発見はリンゴが木から落ちる風景を見たからだといわれています。私たちは物が落ちる風景にはたくさん出会います。学校で机の上に置いた鉛筆が床に落ちる、バトン部の生徒が練習でバトンを落とす。その時、なぜという疑問を持っていれば、そこから発明や発見は始まるのです。

皆さんの持っている理科の教科書はそのような疑問から生じた発見の宝庫です。いつか将来、皆さんの疑問から生じた新しい発見結果が教科書に載る日が来るかもしれません。そんな日が来たらいいですね。先生方は皆、その日を夢見て皆さんを見つめ、そして今年も暮れようとしているのです。
さて、本日の話はこれで終わりです。本日も私の話に耳を傾けていただき、感謝します。どうも有り難う。
                 (11月30日 合同朝礼)

読書の秋に長編小説に挑戦しよう

生徒の皆さん、おはようございます。秋の夜長を皆さんはどのように過ごしているのでしょうか。第3試験の皆さんの結果を見せていただきましたが、少し油断をしている人が増えた気がします。気を引き締めて、夕食後の午後8時から12時くらいまでは皆、自分の机に向かい、学習に励んでください。

ところで、秋といえば読書ですが皆、どのような本を読んでいるのでしょうか。現在は、便利な機器が発売されており、本をめくって活字を追うのではなく、パソコンや、携帯で読んでいる人もいることでしょう。そのような人も含めて、すべての生徒の皆さんに、ぜひ挑戦してほしいことがあります。それは、この秋の夜長を長編小説あるいは随筆などをじっくりと読む機会を持っていただきたいということです。世界文学全集でも、日本文学全集でも、歴史の本、何でもいいですから一枚一枚ページをめくってじっくり読む時間を持ちたいものです。

私的なことで恐縮ですが、私が初めて長編小説に挑んだきっかけと読んだ本について皆さんに紹介してみたいと思います。それは中学2年のちょうど今時のことです。世界文学全集が父の部屋にあり、その中の1冊、コナン・ドイル著のシャーロックホームズの冒険を取り出して読んでいると、日ごろはそばに行くだけで怖かった父が、何かしら優しい目で、「何を読んでいるのか」と声をかけてきました。日頃はまともに父と話などしたこともなかったので、緊張しながら「この本は面白い」というと、にこっと笑って父の部屋に入ってゆきました。そして次の日、「その本が読み終わったらこれを読んでみるといい」と言って手渡してくれた本があるのです。それはパールバック女史の『大地』という本でした。その本の分厚さに圧倒されそうになりましたが、怖い父親が初めて優しいまなざしで私に本を紹介してくれたこともあって、何とか読んで見ようと思い、机に向かいました。読み始めてしばらくすると、もはやその内容のスケールの大きさに圧倒され、時間のたつのを忘れ、夜は布団の中に入って読みふけり、気が付くといつの間にか眠っているという具合であったように思います。今でも主人公の王龍が地主の家に自分の妻となる女性をもらいに行く風景、そしてその彼女が当時の清の女性の風習である纏足をしていないことへの落胆した彼の気持ち、作物が実って安堵の気持ちになった時、イナゴの大群がその畑を襲う風景、まるで目の前に見えるようなすばらしい表現に吸い込まれ時の過ぎるのを忘れていました。

その後、ディケンズの二都物語等次々教えてもらい、中3、高校の時代は世界文学全集に並行して日本文学全集を読み漁っていました。私の片目だけがひどく近視になったのは、その頃、布団に入って少し首を傾げて読む習慣からではないかと思っています。ともあれ、一冊の長編小説『大地』は自分の思考の基本のようなものを作ってくれた気がします。それほどその本は大きな影響を私に残しました。皆さんも是非、長編読破に挑戦してみてください。さて、本日の話はこれで終わりです。本日も私の話に耳を傾けていただき、感謝します。どうも有り難う。
                   (11月9日 合同朝礼)

2011年11月29日火曜日

文化の日に

生徒の皆さん、おはようございます。明日は文化の日で祭日です。明日は、これまで日本の文化活動に大きく貢献した人々に文化勲章が授けられます。本年の受賞者は赤崎勇、大樋年朗、丸谷才一、三谷太一郎、柳田充弘ですね。ところで、初めて文化勲章に輝いた女性はだれか知っていますか。その人の名は上村松園といって、日本画の大家です。本日は文化勲章女性第一号である彼女について少しふれてみたいと思います。

彼女の芸風は生涯一貫して変わることなく、日本女性の品位溢れる美しさを描いておられますが、そのことについて彼女は『青眉抄』という彼女の記した本の中で「私は日本女性の冒しがたい凛とした姿を表現したいと思いました」と述べています。ところが彼女の全作品中でたった一点、女性の激しい怨念というか、嫉妬心というようなものを表現した作品、即ち『源氏物語』の中に登場する女性「六条御息所」の姿を描いた「焔」という作品があるのです。これは、葵上を訪ねて自分のところに来なくなった主人公光源氏への未練と、激しい嫉妬心、そして、その悲しい運命を誰にも告げることの出来ない己を呪ううちに、次第に般若の形相になる一瞬を描いた秀作です。彼女はこの作品について次のように述べています。「私はその頃、一人の女性として生きるか、それとも芸術家として生きるかの狭間で苦悩していました。どちらを選択するべきか迷いながら作品の制作に打ちこんでいるうちに、あのような激しい作品になったのです。」

絹の上に描かれた六条御息所の立ち姿、嫉妬でやせた白くそして細い手、目には白目のところを裏ごしといって、日本画用の絹地の裏から銀を鈍い光を放つような塗りこみがなされ、(現在は銀が化学変化して黒ずんでいます)凄い迫力で迫ってきます。上村松園はちょうどその頃、おなかの中に明かすことの出来ない人の子どもを宿していたのです。結局、彼女は最後までその父親の名前を明かすことなく、芸術家として生きることを選択し、当時は社会の激しい批判にさらされる未婚の母となり、芸術に一生を捧げました。この作品以後は、迷いはなく日常の生活風景から日本女性の美しさ、母親の暖かさなどを描き、1949年、女性として第一号の文化勲章を授与されています。彼女の作品の中にこの季節の女性の生活を描いた作品として晩秋という、障子紙の張り替え、修繕をしている姿を描いたものがあります。群青に胡粉を混ぜて秋の空のような無地の着物を着た慈愛にあふれた母の姿がとても印象的です。ぜひ図書館でその作品を見てください。

ところで、3年生の皆さん、天才といわれた彼女でさえも常に作品の制作に当たり悩みに悩み、努力に努力を重ねていることに気づいてください。青春真っ只中の皆さんにとって勉強を継続するというのは辛いことでしょうが、今、回りにいる友と松園に負けない激しい努力をしてください。また一、二年生の皆さん、勉学にクラブ活動に、仲間と共に精一杯頑張っていただきたいと思います。
さて、本日の話はこれで終わりです。本日も静かに私の話に耳を傾けていただき感謝します。どうも有り難う。
                   (11月2日 合同朝礼)